246を西に向かって走ると、首都高3号線と別れる用賀で視界が一気に開けていく。美しい夕焼けは何度か見たことはある。でも、きのうのあれはなんだったんだ。空だけでなくビルも街路樹も車も人も赤く赤く染まっていた。このまま瀬田の交差点を通り過ぎて二子橋まで行ったらもっと凄いだろう、と思ったが約束があった。芝居を観ることに決めていた(風煉ダンス「まつろわぬ民」。ああ、これもよかった! ) すごい景色を見ると、写真に撮りたい衝動はおこるが、たいていは結果にがっかりする。だからあまりカメラは向けない。けれど、だれかに伝えたい衝動は抑えきれず、ラインを操るも、既読なし。仕方なくカメラを構えたのはわずかに空が抜ける小さな路地だった。世田谷の西の端は武蔵野台地の国分寺崖線(がいせんと読むらしい、がけせんと思っていたが)と呼ばれる多摩川の河岸段丘に位置している。だから砧あたりでは路地から西の空が抜けて見える場所が何箇所かある。女性がスマホをかざしている。「きれいというよりこわいくらいですね」と話しかけると「こんなの初めてです」と。そこで一緒にカシャっと撮ったものがこれだ。思いが通じたのか色はほとんど再現されている。写真は思いが映るんだな。 素晴らしい夕焼けを見ると、いつも思い出すことがある。17歳のとき、英作文の問題集で見た谷川俊太郎の詩だ。素晴らしい夕焼けに見ている瞬間、時間は止まり…と。ダメだ、細部が思い出せない、戦争や平和にまで及ぶ壮大なイメージの詩だったのだが。機会あるたびにその詩を探しているけど見つからない(谷川さんはたくさん夕焼けをよんでる)。だれか知らないかな。